ノートルダム大聖堂で考えたこと

「どうやって…」

こんなに大きな建物、

こんなに細やかで壮大な装飾、

一体数百年前にどうやって作ったのか…。

と考えずにいられません。

どれほど困難だったことでしょう!

ノートルダム大聖堂に限らず、

パリの歴史的建造物を目の当たりにすると

それを建てたモチベーションがどこから湧いていたのかが気になって仕方がありません^^;


かなりの人数が動員されて、かなりの財力が発揮されて、かなりのリスクを伴いながら、かなりの年月を費やして、建設されたはずです。


それでも多くの人々を動かした理由は何だったのか。


これを主導した人物の抱いた信念は何だったのか。


大聖堂や教会だと、イエス・キリストを讃えるという目的?


あれほどの建造物によって栄光が表されるその1人の人物というのはどういう人だったのか、何ゆえ多くの人が命をかけても拝して讃えるのか…不思議です。


ノートルダム大聖堂の中には、数々の聖人たちがまつられていました。

イエス・キリストや聖母マリアをはじめとした、教会にまつられている聖人たちは、何をしたから皆に偉いと認められているのでしょうね?

偉いって何だろう…

多くの人に貢献して助けたこと?

助けたことを言い換えれば、命を救ったこと?


「救い主」への信仰でこれだけの建造物が建てられた時代がたしかにあったのに対し、

今ではその大聖堂で祈る人より、カメラを向ける観光客の方が多いのを見ました。


西洋っぽい人たちでも、敬虔そうに祈る人ってほんとに少ないんですね!


多くの人々を大聖堂に取り組ませた結束感、あるいは信仰、共通意識、が損なわれていった現代の街は、

結束感のない建物でいっぱいなわけで

街ゆく人々の考えの方向もばらばら。


共通した「目的」が特に無いこの時代の人々が作り上げているものには、何の意味があるのでしょう。


私達が、なにか同じ一つの目的に向かって結束して作り上げていくようなことが、今後あるでしょうか。


私達が人間として共通して望む「価値」なるものを見つけることは可能でしょうか。


私は、その「目的」「価値」が人間の間に確立されることを願っているし、

もっと言えばいつかそれは実現可能だと考えています(数百年後だとしても)。




フィロソフィーな日記になりました。


私の勉強の関心の一つはこのような「社会の共通意識」のことなので、フランスでキリスト教の歴史に触れることはとても刺激的です。


最後に、これまで訪れた聖堂の内部をご紹介!

パンテオンと、その隣の教会です。

荘厳な装飾が魅力的で神秘的で、

教会巡りにはまるかもしれません笑


高級な芸術に日々触れることができて、目が肥えるような思いです。

Monamieの留学ノート

2017年8月よりパリ政治学院で交換留学生として学んでいます。 学校での学びだけでなく、生活の中で感じ、考えたことを書き残していきます。

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