受験勉強で覚えた知識を駆使してスイスを楽しんだ私たち

留学中の高校のクラスメイトと旅行に行きました。

スイスのリゾート都市ツェルマットへ向かって

山岳地帯を走る列車に乗っていたときの会話から考えたことです。



山の側面に見える斜めの縞模様がどうやってできたのか。

この山々はどうして鋭く切り立った形をしているのか。

あの山の赤い部分は何の成分の色の現れなのか。


そんな疑問をいだきつつそれらに全部それなりの推測で答えることができていました。

理系学部ではなく、人文系や社会科学系の学部で学んでいる私たちが、

旅行中に目にしたものをこんなにも科学的に分析して、

会話として楽しんでいるというのが可笑しかったんです。

誰一人として大学で専門的に習っているのではありません。

みな大学受験のために勉強したことが記憶に残っていて、

それを言い合っていただけなのです。


これって、すごいことだなと思いました。自画自賛のようにはなりますが、

この知識の幅広さと知識量はかなりのレベルのものじゃないかと感じました。

(日本国内だけでの比較じゃなくて、他国の教育を受けた人の多くと比べて…たぶん。)

日本の大学受験システムについてはいつだって問題点があるものですが、

「科学的知識を実際の生活の中で活用することができる」人材が、

教育によってここに育っているということが証明されたような出来事でした。


そんな「高学歴」なトークを楽しむ一方、

「高校でもこんな風に実際の世界と結びつけながら習えたら楽しかったのにね」

という話になりました。

今でこそ知識を活用できて楽しさを感じられるものの、

勉強していた当時は丸覚え・詰め込みで、楽しさを感じていたとは言えません。

「何のためにこんなものを覚えないといけないの?」と、

理由のわからないまま仕方なく勉強している高校生に、今なら伝えられるでしょうか。


「良い大学に入れば良い企業に就職できる」

「良い企業に入れば将来安泰だ」

などという励ましが通用しない時代になって、

「学ぶことの意味」を見出しづらくなっている、といわれます。

何のために大学で勉強するんだろう?何のために働いて、何のために生きるんだろう?


この問いに確固とした答えを持っている人の意欲は尽きず、

充実した努力を続けられるのでしょう。たとえ困難な状況だとしても。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える*」

そんな強さを、身につけたいです。




*ニーチェの言葉(ナチス下の強制収容所を生き延びた心理学者、フランクルが引用していた)

Monamieの留学ノート

2017年8月よりパリ政治学院で交換留学生として学んでいます。 学校での学びだけでなく、生活の中で感じ、考えたことを書き残していきます。

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